2025年2月27日(木)〜3月4日(火) 趙貴玉個展 - Wildflowers Inside of Me



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2025年2月27日(木)〜3月4日(火) 趙貴玉個展 - Wildflowers Inside of Me


野の花、君を待っている。 (野の花よ、咲くのを待っている)

生はどんな姿だろうか。 木から森へ、森から山へ、山から自然へ視線を移していけば、自然の中の生命体は虚しいほど小さく、軟弱だ。時空間における人間の生もそうだ。生の意味を悟る前に、 生の重さと属性が内面を占拠する。そんなある日、自然の中の生命体の中で小さくて 軟弱な野生の花が話しかけてきた。名もなく静かに花を咲かせ、再び自然に帰る存在たち。わざわざ見てみようと努力しなかったら存在することも知らなかったはずの、名も知らない野生の花を通じてあなたと私の生を振り返る。野の花、ひたすら花を咲かせたその瞬間に存在できる。その瞬間が過ぎると、ここに花が咲いていたことを誰も知らない。自分も一度は花だったことを証明するための悽絶な身悶えのその瞬間だけで、花の存在を証明するしかない苦しい生命の生だ。だから、野生の花は私の姿であり、他人の姿だ。言い換えれば、私の姿を投影したり、他 人を理解し、私たちの生を見せてくれる。巨大な時空間の中で取るに足らないものの、喜怒哀楽を感じ、経験し、生命を営んでいく私たちの姿だ。

私はこのような生命力の驚異と生に対する強さを表現するために、自然の時空間を様々な色彩で表現した。背景に様々な色を覆い、また覆っていく反復過程を通じて瞬間の美しさの中に隠された長い時間を表した。このような背景色を通じて自然の生命力とその中に込められた時間を完全に盛り込んで時空間の変化を記録しようとした。 このように覆って、また覆って幾重にも積み重ねていくが、以前の背景色彩が消えるのではない。最初のキャンバスには空虚がある。ここに深淵の自然空間を考えながら埋めていく。時には空が抱いている色を選び、時には野生の花が根を下ろし始めた土地の空間を色彩に移したりもした。またある日は、野生の花の隣にある湖の水色から持って来ることもある。深い夜を過て、夜明けの青い空は冷たい色彩でも涼しげな純色の光を借りてキャンバスに移る。いつのまにか朝日が昇り始め、温度が上がるにつれて空気の柔らかさが増すだけに背景の色彩には暖かい明度を加えてぬくもりを増した。。真昼の空は太陽のエネルギーをいっぱい含んでいる。温もりで少しずつ暖かさを増していった夜明けの純色の上に燃える太陽のエネルギーを込めた色彩が加わる。爆発しそうなエネルギーの色彩が空を埋め尽くした後、その熱気を和らげ始めると、再び空気中には青みがかった涼しさが少しずつ充滿する。自然の空と地中にはある時点の温度とエネルギーで満たされたのではなく、現在と過去、そして未来の瞬間が積み重なっている。そこには私たちが耐えなければならなかった多くの時間とエネルギーが背景の色彩で一緒に記録されている。

一方、冷たい空気には霜や水滴も隠れている。ある寒い日には雪の花が舞い散る時もある。重さを感じることができない空気はキャンバスを詰めた色彩の軽さで感じられるが、重くなった空気はいつの間に水滴と氷の粒のような形態を現し、肩を押さえつけるほどの重みを持つ。冬の空気は冷たくて軽いが、雪の花が舞い散る。同じ場所で雪に降られたら、野生の花の茎、葉、花びらの上に雪の花が積もる。野生の花の形の 雪だるまができる。時には夜明けに野生の花の葉と茎には氷の粒がくっつく。人の目に見えるほどの大きな粒を混ぜて野生の花の時間に雪を降らせ一晩中できた霜を表現する。続けて生命を営むことができるか心配だが、冷たい空気の中に隠された霜と雪の花はむしろ自然の驚異とその中で生命をつないでいく野生の花の生命力をより強く表す。冷たくて過酷な環境でも美しさを失うことなく雪や霜が作り出す姿をそのまま見せてくれる。雪と霜で覆われているため、むしろ優雅で冷たい冬の野生の花の形で現れるのだ。苦痛と苦難の中で抵抗の代わりに黙々と受け入れ、再び咲く瞬間を待つ人生の態度を表現しようとした。

このような表現のためのツールとしてナイフを選んだ。自然界で空の色や空気の質感は、明確な境界なく空間全体を埋めながら変わる。移したい自然の時間が決まれば、 その時の自然の姿に最も似ている色彩と質感をパレットの上で作り出す。パレットの上の絵の具は、空を染める太陽や、液体を染めるインクの滴のようにキャンバスの色彩の元だ。色彩がパレットの上で決まると、ナイフでキャンバスの上に載せて、空気が空間を満たすようにキャンバスを埋める。色彩をそのまますくい取って移し広げる過程で、自然を最大限ありのままに盛り込んだ。ナイフで絵の具を載せ、掻き取りながら、色を重ねていく過程は自然の時間と変化を盛り込むとともに、私たちの生の中で経験する様々な感情を表現できるようにしてくれる。 一つの色を入れたら、別の色でその上を覆う過程を何度も繰り返す。私たちが経験した時空間に誘導するため、逆説的に変化の過程を色彩の下に隠しておく。対象を眺めるときに受け入れられる情報は、その時点の瞬間とその時の対象の姿だけだ。変化の過程を前面に出せばそれも一つの瞬間になる。現れたのは開花過程でのある時点とその瞬間自然が見せてくれる色彩であることだ。しかし、よくのぞいて見ると、その中には開花を待ちながら経験した自然の時間が隠されている。野生の花の開花は切ない。しかしその過程自体が一つの崇高さだ。 色々な色が順に塗られ、積み重なる過程で色の持つ雰囲気、エネルギー、光は絵の具の質感と厚さで残っている。表に現れた色を覗き込み、その中に隠された作業を想像する過程で、今まで私たちが経験した多くの時間を振り返ることになる。その時間は待ちの時間だ。色を入れ、ナイフでその上に別の色を覆っていく過程は待ちの時間だ。表して隠して再び繰り返す過程も待ちの時間だ。その時間は私にとって喜びと悲しみが交差する時間だ。だから、ナイフの先で消える野生の花の消滅は悲しみではない。疲れた生を終え、背景に戻って別の生命の生成を準備する生は自然の理、そのものだ。 表すことと隠すことの真の意味と美しさを発見することになる。たとえ世間の注目を浴びることのない名もない野生の花のように、しばらく自分をあらわにして咲いた後消えるが、その中に隠された物語は私たちの生をより豊かにする。野生の花の開花を通じて生の中に隠された苦痛と歓喜、そして崇高さを表現し、生の本当の意味をもう一度振り返りたいと思う。私も黙々と自分だけの色彩で生の旅路を歩きながら、画幅の上に私たちの物語を盛り込もうと思う。キャンバスに盛り込まれた野生の花は単なる絵ではなく、私たちの生の一面を映す鏡であり、存在の意味を再確認させる小さな火花だ。たとえ世の中の注目を浴びない名のない野生の花のように、私の作品も世の中に静かに位置するとしても、その中には真実の生の物語が盛り込まれている。小さな生命の循環の中で、私とあなたの生で一度は訪れた輝かしい開花を思い出しながら黙々と生きていくことを希望する。 野の花、君を待っている...

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